Narihiko YOSHIDA

CEO 吉田就彦のマーケティングウォッチ

2015.01.10

日本の観光立国はBaliに学べ

本日のテーマは「Bali」についてです。

昨年12月にジャカルタで行われたKINカンファレンスというマーケティングの国際会議で、
AKB48の成功戦略をマーケティングの父コトラー教授のこれから取るべき10の戦略を使って説明した後、
私はせっかくインドネシアにまで行ったので、Baliに寄ってから帰国しました。

ジャカルタの混沌としたエネルギーも興味深かったのですが(特にひどい交通渋滞の洗礼を受けて)、
初めて行ったBaliでの体験は、様々な事を考えさせられた貴重な体験となりました。

多宗教、多民族、多人口の国インドネシアですが、Baliはその歴史の結果でもあるヒンズー教の島です。
住民の9割がヒンズー教徒だそうです。ヒンズー教はある意味では日本の八百万の神に似ており、
多神教で様々なモノに神が宿るようで、それこそタクシーから家々までの様々なモノに花やお供え物が捧げられ、
町中にその文化が溢れていました。

特に私が滞在した町がUBUD(ウブド)であったからかもしれませんが、
旧王宮を中心としたウブドの町は、古い寺やヒンズー教の文化があちこちに垣間見られます。
ちょうど、Baliに着いた日の夕方から宗教的なパレードが中心部であったり、
帰る日の翌日にはBali中を挙げての大きなヒンズー教のお祭りがあったからかもしれませんが、
ともかく人々の暮らしの中に昔ながらのヒンズー教の文化が
しっかりと根を下ろしていることが一目でわかりました。

Baliでは、世界遺産になっているタマン・アユン寺院をはじめとする数々の寺院、
有名な棚田であるライステラスや市場などを見学、さらには活火山バトゥ-ル山や
バトゥ-ル湖を遠望できる外輪山からの眺めなどは圧巻の一言でした。


そんなBali観光のハイライトは何と言っても舞踊です。
神への供物として発達してきたこの舞踊は、芸能の島と呼ばれてきたBaliの象徴でもあります。
有名なのは楽器を一切使わない100名以上の踊り手と歌い手による「ケチャ」ですが、
それ以外にもガムラン等様々な楽器による演奏をバックにする「レゴン」という
宮廷舞踊劇の流れをくむ女性の優雅な舞や、少女が神がかりになって踊る「サンヒャン・ドゥダリ」、
馬に跨った男性の火踊りの「サンヒャン・ジャラン」等々、様々な演目が島中で行われています。

聞くところによると1年365日、毎日どこかでこれらの舞踊は行われているとのことで、
ウブド周辺だけでもたくさんの人気歌舞団があり、そのパフォ-マンスを競い合っています。
私は2日間にわたってそのパフォーマンスを観ました。
1日目は、日本や、アメリカをはじめとして海外公演も行っている
ティルタ・サリ歌舞団をプリアタン村のパレルンステージという常設劇場で。
2日目は、ケチャとファイアーダンスをウブドの中心の古い寺院の中庭で鑑賞しました。

それらを見てまず思ったことは、とにかく芸術的なレベルが高いことでした。
演奏も踊りも鍛えられていました。特に踊りは中腰の妖艶な女踊りを中心に、
毎日の鍛錬が無ければ到底踊ることの出来ない安定感と表現力です。
もちろん素人目にも上手い踊り手とそうでもない踊り手は存在しますが、
それらが単なる観光地の見世物というレベルではなく、芸術の域に入っていることは一目瞭然でした。

以前、スペインのグラナダに行った時に、
タブラオというジプシーの洞窟で行われた歌と踊りを見たことがありますが、
あれは紛れもなく観光のショーであり、芸術の域までには達していなかったです。
しかし、Baliは違いました。
綺麗で常に新調されていると思われる見事な民族衣装の隙の無さや踊りや歌の完成度、
明らかに観光客向けショーではあるもののなにかが違う高みを感じます。
本物なのです。
その違いこそ、これから観光立国として日本が世界に席巻するためのヒントであるように感じました。

まず第1に、古くからの文化がしっかりと人々の生活の中に入り込んでいることです。
ベースがしっかり根付いているからこそ、
古いモノであっても単に遺物ではなく現在のモノとして輝きを放っていることです。
文化遺産の化石に追いやるのではなく、
現在生きている人々の生活の中に入り込んでいる文化の下支えが、
その観光資源を古く見せないということなのです。
現在も深く信仰されているヒンズー教の文化の上にあるこれらの歌舞踊は、
そのまま現代的な宗教的メッセージともなっているのです。

第2は、そのパフォ-マンスが芸術的な高みを極めるべく常に進化していこうとしていることです。
これらの舞歌謡団は1900年代の植民地時代に西洋でも脚光を浴び、
更にはつい最近になってからも新しい天才たちの勃興により洗練され鍛えられ
パフォ-マンスのエンタテインメント化が確立されました。
ある意味では古い題材を現代的に進化させてきた結果が現在の姿なのです。

これらが行われたのはつい最近の事なのです。その進化が可能になったのは、
その担い手となる若者が挑戦したくなるような憧れの存在として、現在のスターたちがいるという事なのです。
村の誇りなのです。
そして、第3は、そのような宗教的なモノをベースにした舞歌謡をしっかり観光資源化して
経済発展に資するキラーコンテンツとしたことです。観光の島の面目の中心として、
ライステラスなどの自然観光資源と共に、文化をベースにしたエンタテインメントにより集客を行い、
それによりお金が地元に落ちることで人々や町がうるおうのです。

Baliには、ジャカルタで見た貧富の差を感じさせない人々の笑顔と町のきれいさがあります。
お金が回っているのです。
その中心に舞歌謡があるわけです。

これらの事を、我が日本に当てはめてみるとどうでしょう。
日本の伝統文化は、そのほとんどが文化遺産化され市民とはかけ離れています。
国宝や文化財にはなっても、後継者はいなく文化の継承自体が危ぶまれているモノも多いです。
かろうじてお茶や歌舞伎のように残っているものもありますが、
ほとんどの日本文化はある種特殊な世界として、
特殊な人たちの世界の中だけで閉じているように感じざるを得ません。
現在の日本の国民のベースには、日本が乏しいのです。
実は、これがこれからの観光立国日本の為の大きな障害なのです。

我々の生活の中に自然と育まれる日本の文化が継承されて行かない限り、
日本文化はショーケースの中にだけある骨董品のようになってしまいます。
この国の文化の素晴らしさも博物館の中だけのモノになってしまうのです。
外国の皆さんは、日本に触れたくて日本に来るのですから、
来てもらえるようなモノや空気が街中になかったら、
日本は観光立国にはなれません。
現在成り立っている観光立国の町を見てみればそれは明らかです。
フランスしかりイタリアしかりです。
彼らは日本に日本を求めてやって来るのです。
それは博物館の中をのぞきに来るのとは訳が違うのです。

このように、今、我が日本が最もとらなければならない観光戦略は、
我々日本人が日本を生活の中に取り戻すことなのです。
お茶でもいい、お花でもいい、和服でもいい、和食でもいい、
落語でもいい、漆塗でもいい、踊りでもいい、
なんでもいいから多面的に日本的なことを国民全員がなんらかの意識の中心に据えられた時、
日本は輝く観光立国になるのです。
教育、体験、観光資源化、継続性に自国の文化をそのベースに取り入れているBaliの姿は、
今日本が取るべき我々の戦略に大きなヒントをくれているのです。

      

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