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吉田就彦のヒット学

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NECが運営するビジネス情報サイト「Wisdom」にて
Wisdomブログ「明日のビジネスを創りたい人へ ビジネスにおけるキャラクター活用」
対談シリーズとして掲載されているインタビュー内容です。
インタビュアーは野澤智行さん、他です。

1.ヒットコンテンツの共通法則
3)ヒットコンテンツを手がけて得られた発見 -だんご3兄弟でネットの威力を痛感-

【キーワード1-⑧:「だんご3兄弟」誕生秘話~イントラネットに吸い上げられた民の声・声・声】

野澤 :多分、チェッカーズや角川映画とは好対照の話だと思いますが、1999年に大ヒットした「だんご3兄弟」はどうだったんでしょうか? ポニーキャニオンのプロデューサーとして最後に「だんご3兄弟」を手がけられたという話をお聞きしたんですが。

吉田 :「だんご3兄弟」は面白かったですね。ご存知の通り、「バザールでござーる」などオリジナルキャラクターを使った広告で数多くのヒットを生み出してきた佐藤雅彦さんが講談社から『クリック』という短編集を出した時の、わずか2ページぐらいの小さい話が原作になっています。
佐藤さんみたいな、「バザールでござーる」とか「ポリンキー」とか、キャラクターを使った面白いコミカルなCMで有名になった、しかも凄い当てた方と、NHKという全くCMとは関係ないところとで、ミスマッチの異業態コラボレーションがしたいという、NHK側のラブコールから始まったんですね。

吉田 :佐藤さんとNHKが最初に話した時に、『クリック』の中にあった「だんご3兄弟」を歌にしましょうか、というところからあの作品が生まれたそうです。とりあえず佐藤さんのチームが、歌とビジュアルを全部作って、NHKとしても「面白いですね」となってオンエアされました。
オンエアされて、1週間後ぐらいだったか10日後ぐらいだったかに、ポニーキャニオンの社内ネットワーク、イントラネットに、「『だんご3兄弟』がうちの息子の通っている幼稚園で凄いことになっています」というスレッドが立ちました。

稲葉 :ネットがまだ充分に普及してない頃ですよね。

吉田 :当時は、年末ぐらいにポニーキャニオンがやっと、ロータスノーツというイントラネットを初めて導入したタイミングで、社員も皆、イントラを使って何かやってみたいと思ってたんでしょうね。
誰かがスレッドを立てて書き込んだら、その時確か、一つのスレッドに対して23ぐらいフォローがついた。「うちもそうです」、とか「何ですかそれ?」って。これは異常値、普通そんなことはないのにそんな異常値があった、ということで、「『だんご3兄弟』って何だ?」ってなった。

モノ作りは、佐藤さんが作ったものなので、僕らは全然関与していません。しかも僕らは番組の反応を直接見もしていないからわからない。話題になっているようなのでよく調べてみたら、「だんご3兄弟」は「おかあさんといっしょ」の関連作品としてリリースの予定がありました。しかし、あの当時「だんご3兄弟」のCDを出すという発想はどこにもなかったので、「おかあさんといっしょ」というパッケージにちょっと入っているからいいよ、という感じでした。
しかし、あまりにも凄いイントラのスレッドだったので、これは仕掛けないと、となって、NHKに「『だんご3兄弟』のCDを出しましょう!」と言って、イントラネットに書き込まれた情報をプリントアウトして持って行って。今だったらそんなことしちゃいけない時代だけど(苦笑)。それを「こんな凄いことになっています!」と持って行って。「そんなに凄いんですか?」みたいな話で、NHKもびっくりしていて。

野澤 :NHKも反応がまだわからなかったんですね。

吉田 :ポツポツとNHK本体には(問い合わせが)来ていたらしいけど。

稲葉 :でもそれは定性の情報であって、吉田さんが持っていったのは定量の情報ですよね。

吉田 :しかも具体的な事例で、具体的なものがこんなにあった、って。そんなことしているうちに、新聞の投書があったり、NHKに対して「『だんご3兄弟』をオンエアしてくれ!」という要望があったり。そんなことをキャッチしていたので、テレビ番組というコンテンツから音楽を切り出してCDというキャラクター商品にして、それを「だんご3兄弟」というキャラクターのフラッグシップにしようと考えたんです。
「だんご3兄弟」の世界観を世の中に大きくメッセージするためには、CD、しかもヒットというのがわかりやすいんじゃないか、ということで乗り込んで行ったら、佐藤さんもやぶさかじゃないという話になって。でもNHKは過去にやったことがないから「調査します」とおっしゃって、最終的には「出してもいいですよ」となりました。

吉田 :その時の決め手は、普通は幼児物のCDって、アルバムでせいぜいイニシャル(初回販売)が何百枚。おそらく500枚ぐらい。でもそれを、思い切って2桁、1万枚は大丈夫、という風に言って私が口説きました。もう清水の舞台から飛び降りる感じでした。1万枚はやるから、やらせてくれ、と口説いたのです。
後日談になるけど、CDを発売した3月3日、1999年1月6日の初オンエアからわずか2ヵ月後、ついたイニシャル(初回販売)枚数が70万枚。でも70万枚で発売したら即欠品で、その後、CD販売が低迷していることから、おそらくもう破られないであろう欠品記録として、140万枚。70万枚の倍もの欠品が、もう翌日には積み上がったんです。今はCDが売れない時代だから、(この欠品記録は)金輪際破られないと思いますね。

稲葉 :欠品ミリオンですか・・・もうないでしょうね。

吉田 :そのくらい、そこまで売れると思わなかったのが、売れた。あれがヒットした最大の原因は、社内イントラネットを導入したことで吸い上げられた "民の声"。その後、システムの会社などで講演する時は皆それを事例として使っています。
その後デジタルガレージに転職してからは、IT系のシステムにも関わっていたので、僕の話は、クライアントにとって説得力があったようです。とにかくそれがヒットを生んだ第一の要因でした。

マーケティング的なことで言うと、NHKの企画だから全部の民放局が協力してくれる、という利点がありました。民放各局とも、競合他局の企画は積極的に取り上げないけど、NHKでやっているものが上手くいったら、それは一つのニュースとして放送してくれる。当然ながら新聞もそう。NHKがやっているのだから応援しようよ、となる。
なおかつ強力なのは、NHK自体が地上波を2波持っていて、BS2波、ハイビジョン、全国FM地方局、AMラジオと、フルメディアで「だんご3兄弟」をやる。それが、国民の要望によってどんどんオンエアされる。その巨大なメディアジャックをやったのがNHKだったから、物凄い。だからあれだけのスピードで認知が進んでいったんです。

<続く>

※この対談は、NECのビジネス情報サイト「Wisdom」のブログ「ビジネスにおけるキャラクター活用」で掲載した内容を、了承の上で再掲載したものです。

NECが運営するビジネス情報サイト「Wisdom」にて
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対談シリーズとして掲載されているインタビュー内容です。
インタビュアーは野澤智行さん、他です。

1.ヒットコンテンツの共通法則
2)ヒットコンテンツを手がけて得られた発見 -角川映画との出会いが始まりだった-

野澤 :ビジネス論でも何でも、やっぱり何かをやる人は30代前半ぐらいまでに何か一つでも目に見える成果をやり遂げないと、なんて書かれてますよね。40代になってから突然目覚める人は、いるかもしれないけど珍しい。体力とか感性がついていけないでしょうし。

【キーワード1-⑦:25歳で「幻魔大戦」初ディレクター~角川春樹氏との出会いの原点】

吉田 :40代でブレイクするのは、ある意味潜在的に天才的な方ですね。僕なんかは敢えて言うと、25歳でチェッカーズが当たると頭に乗るわけです。実はこの頭に乗るという感覚が、当てるとかに凄く重要なんです。自信がないと思い切り出来ないですよね。思い切り出来ないと当たらない。とりあえずちょっと試しにじゃ当たらない。思い切り必死にやって初めて当たる。普通、失敗ばかりしていると思い切りやれないものです。


吉田 :僕の場合、一番最初にやった仕事が、角川春樹さんがプロデュースした「幻魔大戦」というアニメ映画の音楽でした。あれがディレクターとしての最初の作品です。といってもディレクションは何もやっていなくて、スタジオでお弁当を手配していただけだけど(笑)、それが僕のディレクターとしての名義の最初の仕事でした。
なおかつ物凄く複雑な作品で、キース・エマーソンが音楽監督をやって、ローズマリー・バトラーが歌を歌い、青木望さんというアニメ音楽の巨匠がBGMの作曲と編曲を担当し、佐渡國鼓童が太鼓を担当、といった複雑な内容の音楽サウンドトラックの制作でした。その担当をペーペーの新人ディレクターだった自分がやることになって。見るもの皆新しくて面白かった。

野澤 :自分はちょうど大学入試後の春休みにこの映画を見に行って、いろいろ目新しく、内容も凄かったことを覚えてます。高校生の時に原作を読み、角川書店から出た「バラエティ」の増刊も買っていたし。大学に入った後も、新宿のオールナイトで見直したほどハマってました。

吉田 :それが僕の最初の制作の仕事で、角川春樹さんのおかげで、主題歌がオリコン売上ベストテンに入った。当時は英語の歌が上位に入るなんてありえなかった。考えられないことを経験させてくれたのが、角川春樹さん。そういう人のやり方を見ていろいろ覚えました。

野澤 :キャラクターデザインも、わざわざ原作漫画を書いていた石ノ森章太郎さんでなく、当時まだ知る人ぞ知るカルト的存在だった大友克洋さんの絵に変えて、すごくインパクトがありましたね。

稲葉 :石ノ森章太郎の漫画を読んでいる人は、あれ?と思って。

野澤 :全然違う現代風のキャラになって、自分はワクワクしましたが、原作ファンにとってはショックだったかもしれないですね。吉田さんが先ほどヒットの法則でおっしゃられた通り、それこそミスマッチも甚だしかったです。

吉田 :角川春樹さんのおかげでチェッカーズも生まれるし、その後のヒットも、角川さんに習ったことを利用して。
「幻魔大戦」の後に僕もサポートで参加した「時をかける少女」が公開の半年前から長崎、九州、と地方からエリアマーケティングを広げて徐々に人気を高めていって、最終的に東京をゴールに全国展開しました。当時のアイドルを売り込むパターンは逆で、テレビでいきなり全国レベルまで持ち上げるやり方が一般的だったんですが。まったく反対のパターンを原田知世ちゃんでやって、チェッカーズもそうやりました。

稲葉 :通じるところがある。

吉田 :奇跡のように上手くいきすぎたチェッカーズは、3人のコアスタッフが売ったんです。一人はもう亡くなっちゃったんですがポニーキャニオンの先輩の宣伝マン。もう一人は今僕と農業や環境系の仕事を一緒にやっていて、チェッカーズのマネージャーをやった人間。この3人のトロイカ体制で、芸能界とかメディアとかと必死になって格闘していました。あんなのはおそらくもうないでしょうね。それがたまたま25歳でそういう経験をさせてもらったので、いろんなことが自分でも見えたり、ヒット作りのノウハウを体得出来たのだと思います。チェッカーズの成功へのノウハウは、実は角川さんから学んだことも大きかったですね。
角川さんは、「アイデアをカタチにする仕事術」という本にも書いたけど、『ヒットを生むプロデューサーの7つの能力』の二つ目、世の中の動きや物事の本質がわかる「理解力」の達人でしたね。

<続く>

※この対談は、NECのビジネス情報サイト「Wisdom」のブログ「ビジネスにおけるキャラクター活用」で掲載した内容を、了承の上で再掲載したものです。

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1.ヒットコンテンツの共通法則
1)ヒットコンテンツを手がけて得られた発見 -チェッカーズのキャラクター戦略-(完結編)

【キーワード1-⑤:ゼロリセットの必要性~過去の成功体験を捨ててこそ、新鮮な驚きはもたらされる】

吉田 :やっぱり普通なものは当たらないですよね。柳の下にどじょう何匹みたいな議論になるけど、エッジの利いたものは、革新的な面白いもの。『ヒット学』で『6つのヒット法則』の法則3に「常に新鮮な驚きがヒットを生む」と書いたのは、常に新鮮な驚きを与えるためには、それまでのものを引きずっていちゃダメ、ということなんです。

野澤 :我々のビジネスでもそうですが、これだけメディア環境や生活者の意識が変わってきた今、過去の成功体験は足を引っ張ったりしかねないです。

吉田 :実際に講演とかではよく言っています。過去の成功体験は、1回ゼロリセットして捨て去らないとダメだと。だけど、人間はついつい捨て去りたくないと思ってしまうんですけどね。
だから、『ヒット学』の『ヒットを生むプロデューサーの7つの能力』(下図参照)の七つ目として、「完結力(完結させる能力)」がプロデューサーには必要だと書いているんです。完結というのは、きちんと結果も出して形にするけど、それを完全にゼロリセットして、その時のノウハウだけをちゃんと次に生かすということで、関係を引きずらないということです。

吉田 :全く新しいものからスタートする。だから、(上記の)図ではそれぞれの能力がサイクルとしてぐるぐる回っている形にしています。

稲葉 :そこら辺の勇気は必要ですよね。このパターンで上手くいったからまたいけるんじゃないか、というのはキャラクターやアニメコンテンツの世界でも結構あるような気がする。

野澤 :極端な話、「次も同じようなのお願いします」と頼まれちゃったりもします(苦笑)。

吉田 :いろんな物作りで成功した人の話を聞いたり、本を読んだりしていると、皆さんそう言っているから、ゼロリセットすることが必要なのは真実なんですよ。

野澤 :一度成功したから次も同じようなことをやれとスポンサー達から言われても、その通りにやって上手くいかないと、まずいでしょうね、プロデューサーとしては。

吉田 :そういうことがあるので、また大変だけどゼロからやる。その過程の中で、昔の物が無駄になっているかというとそんなことはなくて、ノウハウは蓄積されているので、それを使いながらまた新しいものが生み出せるんです。安易なヒットの大量生産は無理なんです。

稲葉 :次は前より上手くいくんじゃないか、って思ってしまうのは、油断があったり甘さがあったりするんですかね。

吉田 :そうですね。ヒット作りは真剣勝負だから、その時のエネルギーが高い時に、それこそ爆発する訳だから。そのときには使えたけど、その後は使えないことも多いです。チェッカーズと同じようなことを後になって僕もやろうとしたけど、全く上手くいかなかった。方法論は変えたつもりだったけど、本質的なところで上手くいかなかったです。

野澤 :どんな名プロデューサーだったとしても、ヒットの確率は3割ぐらいと言ってますよね。

吉田 :あのルーカスだって、自分のヒットは10%ぐらいだって言っているんだから。僕はおそらく、生涯打率で言うと、2割5分弱だと思う。ルーカスよりだいぶ甘いですが(笑)。

野澤 :野球の打率と同じで、3割行ったら天才みたいな。

【キーワード1-⑥:自分のアンテナと時代のアンテナがリンクしてヒットが連発する時期が存在する】

吉田 :3割いったら天才だし、そう簡単には行かない。「エンタの神様」などをやっている五味一男さんは、一時期雑誌などで絶対当てるとおっしゃっていましたが、あの方でも生涯打率はどうでしょうか。
僕もチェッカーズをやっていた時は何でも当たった。自分のアンテナと時代のアンテナがリンクしていたんでしょうね。全盛期の小室哲哉さんなんかもそう、全部当たる。あの短い時間に、時代と自分のアンテナがリンクしていた。時代が本当に読めたし、自分が感じるまま、イエスの方で当たった。そういう人がいた場合は、何も言わずその人にさせておけば正しいプロデュースというわけです。だって当たるのだから、あなたの言う通り、っていうのが正しいプロデュースですよ。

稲葉 :ゼロリセットして関係性が上手くいっているから?

吉田 :それもあるし、その時はある意味パラノイア状態なんですね。凄く時代の感覚とリンクしているから、神が降りるじゃないけど、理屈じゃないんですね。

稲葉 :萩元晴彦さんという、大阪万博や長野冬季五輪の一部を手がけたプロデューサーだったと思いますが、その方が「プロデューサーを1人決めて、言葉は悪いけど、キチガイになるくらいまでとことんやらせなきゃダメだ」って言っていました。

吉田 :人間のエネルギー、能力が本当に凄いものを出す時がある。そういう時は人間は物凄いエネルギーを発するんですね。チェッカーズの当時は本当に寝ていない。寝る時間がないから、ナチュラルハイ状態なんです。ちょっとでもじっとしていたらすぐ寝るぐらいに寝ていない。そういう意味では本当に異常な状態でした。

稲葉 :凄いエネルギーが出ているというのは、そういう環境をご自身で作った?

吉田 :作ったというか、売れっ子のディレクターは自然とそうなっちゃうんですよ。やらなきゃいけない仕事が山ほどあって、しかも昔はシングル曲は3ヶ月ローテーションと言われて、3ヵ月後に新しい物を作らなきゃいけないんですよ。ある種のゼロリセットをやりながら、流れも考えながらなんで、頭が本当に爆発しちゃう。それをあの頃のヒットディレクターたちはみなやり続けていた。今は全然違うかもしれないけど、僕らの当時の音楽ディレクターとかプロデューサーはそういうことをやっていたんです。過酷ですね。

稲葉 :ポニーキャニオンさんがそういう環境を作ったんでしょうか?。今だったら労働基準法とか言われるところを、整えた。

吉田 :全然整えていないですよ。死人が出て当たり前ですよ。まさに、それこそ死人も出たし。まあ異常な状態といってもいいでしょうね。普通の仕事じゃないと言えば普通じゃないですね。

稲葉 :覚悟を決めなきゃいけないところがある?

吉田 :僕も当時若かったから、とにかく面白いからやれていた。世の中、自分の感じた通りになるし、面白いに決まっているわけです。寝ている場合じゃないと。29歳の年に日本で一番レコードを売ったディレクターになったし、25~30歳ぐらいの6年間は、本当にほぼやれば当たるみたいな世界でした。自分なりにも大変な時間だったけど、やっぱり面白かったのでやってられたんですね。

<続く>

※この対談は、NECのビジネス情報サイト「Wisdom」のブログ「ビジネスにおけるキャラクター活用」で掲載した内容を、了承の上で再掲載したものです。

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1.ヒットコンテンツの共通法則
1)ヒットコンテンツを手がけて得られた発見 -チェッカーズのキャラクター戦略-(続き)

吉田 :チェッカーズをデビューさせるにあたって、まず彼らのビジュアルを何とかしないといけない、と考えました。何故かというと、アマチュア時代のスタイルではシャネルズの弟版にしか映らないからですし、当時売れていた横浜銀蝿はあんな不良の感じで、シブガキ隊はアイドル、ある意味アイドルとロックを、良い感じで違う次元で融合させるようにしたいなと。同じ次元だったらダメなので、違う次元で、と思ったわけです。
その時にお手本として僕らが考えていたイメージは、ドゥーワップは基本的にアメリカベースだから、シャネルズは顔を黒く塗って黒人を意識した感じなので、その反対となるのは、当時出てきたニューウェーブという音楽で、ハイセンス、イギリス、という方向性だった。
よくチェッカーズはベイシティローラーズと比較されるけど、僕らは全くそういった意識がなくて、単純にイギリス路線なのでイギリス的なビジュアルということを意識した時に、たまたまそうなっただけです。バンド名がチェッカーズという名前だったので、だったら印象をつけるためにはチェックがいいだろうと。それで現代風にアレンジしたチェックのビジュアルを作ったんです。

野澤 :(メジャーデビュー前から)そもそもチェッカーズの名があったんですね。

稲葉 :名があって、あとから体を合わせていった?

吉田 :そうです。今の流れに乗りながらも、今流行っているものと違う次元に持っていく、というのがチェッカーズに課せられたテーマだと思っていました。当然僕一人じゃ出来ないので、チェッカーズを一つの商品として見た時に、違う次元に持っていくため、色んなクリエイターたちに参加してもらったんです。
『ヒット学─コンテンツ・ビジネスに学ぶ6つのヒット法則』(ダイヤモンド社サイトのURLはこちら)の中にも一部載せていますが、秋山道男さん達をスタッフにつけるために、一番最初の企画書「チェッカーズ コンセプト」を作りました。
当時、ヤマハは大ヒットを連発していた巨大プロダクションで、楽器もあるヤマハ本体はキャニオンレコードなんかより全然大きい会社でした。そんな会社に、アーティストをこうしたいという企画書を持っていったレコード会社の人間はそれまで誰もいなかったらしいです(笑)。

企画書には、ダンサブルとか書いてあって。今でこそ、ジャパニーズポップスは皆ダンスポップスになっていますが、チェッカーズの一番最初のコンセプトは、歌って踊れるアイドル、ビジュアルアイドルのイメージだった。レコードとかを出すのをやめて、当時の新しいメディアだったビデオから出そう、というような企画イメージでした。

吉田 :横浜銀蝿とシブガキ隊のど真ん中で、新しいコンセプト、新しさを演出する。そんなことを書いた企画書をいろんな人たちに見せて、こんなことをやりたいので具体化してくれないか、とお願いした一人が秋山道男さんでした。秋山さんはチェッカーズを一つのキャラクター商品であるかのように、生きている7人の若者をキャラクター商品化した。その時のイメージが、センスのあるイギリステイストのものでした。

更に音楽プロデュースをお願いしたのが芹澤廣明さんです。昔、「ワカとヒロ」というアイドルもやっていて、当時は中森明菜の「1/2の神話」をヒットさせたぐらいの時で、新進気鋭の作曲家でした。ヒロさんは、ご多分に漏れず、昔不良のバンドマン上がり。だから、チェッカーズという、今の不良の九州の若者バンドマンたちを、音楽的にもちゃんと教育するには兄貴じゃないとダメじゃないかと。一緒にやっていたヤマハのディレクターが、ヒロさんという人がいるから彼らに監督をつけようということで、ヒロさんに参加してもらったんです。

ところがヤマハとかヒロさんという純粋な音楽の人と、秋山道男さんが全く合わない。ヤマハは日本の芸能界で売れていて、しかも物凄い成功体験を持っているので自信もあるし、「俺たちに任せろ」状態なんです。ところが僕が持ってきた秋山道男さんの一派は「これじゃダサい。」という感じで。それを合わせなきゃいけないのが、僕の最大のプロデュースでしたね。

【キーワード1-④:ミスマッチなコラボレーションを成立させ続けるのが、プロデューサーに求められること】

吉田 :僕が実例から見出した『6つのヒット法則』(下表参照)の法則1に、「ミスマッチのコラボレーションがヒットを生む」というのがあります。まさにチェッカーズの成功は、本当にミスマッチなものを強引にコラボレーションさせた結果です。それが最大のポイントだと思います。
生身のバンド、生身の人間をキャラクター化させて、それを実現するために、現状のサクセスストーリーやノウハウと全然違う強力な異次元の力を無理やり一緒に共存させたんです。

稲葉 :無理やり、強引とおっしゃっているけど、そういうきっかけがないと融合しないですよね。

吉田 :熱い鉄鍋に氷と熱油を同時に投げ入れて、バーンと爆発した時が大ヒットするんです。同時じゃなかったり、一方だけのエネルギーが大きかったりすると、必ず上手くいかないものです。両方とも強くて同時じゃないと無理。これが、20年やってきたプロデュースの結論です。両方とも強くて同じぐらいの強いエネルギーじゃないとダメですね。

野澤 :それぐらいパワーがないと、どこかで見たような、当たり前のものにしかならない、ってことですね。先程のケースだと、ヤマハに皆いっちゃいますよね。

吉田 :普通は皆そうです。キャニオンとヤマハの関係は、それまでは制作はヤマハ主導でキャニオンはお手伝いする、という感じだったんです。ところがチェッカーズのケースでは、その関係を変えたということで、これはヤマハの歴史始まって以来のことだったみたいです。勿論、僕の知らないところで上司とか大人たちがさまざまな調整をしていたんでしょうね。

野澤 :ちょくちょくある話でもなさそうですよね。

吉田 :そんな大変なことは普通はまずしないし、あの時僕も若かったんでしょうね。しかも成功しないとそれはぶっちぎれない。逆説的に言うと成功したからできたとも言えますね。

稲葉 :例えばキャラクターの話でいうと、生身の人間じゃなかったとしても、原作者がいたり、乗るコンテンツが上手く乗らないとやっぱり同じような苦労がある。お互いが水と油だったとき、吉田さんみたいなプロデューサーが強引でも無理やりやらないと、キャラクターがヒットするきっかけが生まれないんでしょうね。


<続く>

※この対談は、NECのビジネス情報サイト「Wisdom」のブログ「ビジネスにおけるキャラクター活用」で掲載した内容を、了承の上で再掲載したものです。

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インタビュアーは野澤智行さん、他です。

1.ヒットコンテンツの共通法則
1)ヒットコンテンツを手がけて得られた発見 -チェッカーズのキャラクター戦略-(続き)

吉田 :レギュレーションづくりということで言うと、コンセプトプランを当時「無印良品」などの仕事で活躍していた秋山道男さんにお願いしました。秋山さんってちょっと変わった人で、テキ屋のおやじみたいな感じだった(笑)。その普通とちょっと違う感覚をどう上手くプロジェクトに取り入れるかということで、さまざまな利害関係者の調整が大変でした。
変な話ですけど、僕がプロデューサーとして行ったことは、水と油を何とかして一緒にするということでした。チェッカーズにおける僕の最大のプロデューシングはそれでしょうね。もう、パンク対保守みたいなもので、それを強引に一緒にするみたいな。それがまさに僕がやったプロデュースだった。

野澤 :チェッカーズのやりたいことと秋山さんのやりたいことも全然違うし?

吉田 :違いましたね。皆、それぞれ違う。ただ、フミヤの感覚に合わないものだけはやめようと思っていました。彼だけですね、面白がっていたのは。あの衣装で泣いていたやつもいましたしね。
さまざまな調整で形にするだけならまだいいけど、形にする=成功させなきゃいけない。何とか彼らにやらせるところまでは出来るけど、当てなきゃいけない。そうしないと僕のプロデュースを信用してもらえない。マーケティングにおいても、また更に色んなことがある。だからまあ面白かったですけど。僕が25歳の時です。

野澤 :当時の吉田さんは、秋山さんよりも、チェッカーズに近い年代ですよね?

吉田 :そうです。本当に新入社員に近い状態だったのが、最後は親会社でもあるフジテレビとかニッポン放送とかフジサンケイグループまで含めて調整しながらプロデュースしないといけなかったんで、大変でしたよ。

野澤 :任せる方も凄いですね。

吉田 :任せる方が凄いというか、あの当時売れっ子ディレクターはある意味天皇だから、そのプロジェクトにおいては社長よりも影響力があるわけです。しかも、自分でやりますって言っているので、自分で責任を取るしかない。うまくいっている時は吉田にやらせておけばいいわけですよ。売れればいいんだから。
さまざまな事を乗り越え形にして成功させたことが大きいですね。勝てば官軍ということでしょうか。チェッカーズは本当に大変でした。何冊も本が書けるくらい色んなことがあって。なので大変だけど面白かったですね。
一番残念なのは、彼らが最終的にメンバー間の仲が悪くなったって報道されたことですね。一人亡くなりましたし。それが残念だし、悲しい。関わった人間としては。戦友みたいなものですからね。

野澤 :それこそ、人とキャラクターの違いですよね。人だとどうしても、良くも悪くも変わっていっちゃったりとか、やりたいことがあったなら、どうしてもそちらの方に、そっちの方に行かない方が良いのに行っちゃったりする。

吉田 :もちろん人間が関わっているので違った力学も働くし、ヒエラルキーの組織としても力学が働くし、人間個人としての思惑も働く。そういうことが全部入り乱れている。特に芸能界なんてその巣窟。力関係から始まって、ありとあらゆる力が働く。

稲葉 :よく広告にも、タレントを使うのかキャラクターを使うのか、スポーツ選手もそうだけど、使われた時に色々リスクがある。そんな中でキャラクターはどうなの?という比較論に最近なっていることが多い。それはリスクを心配する方の社会になっているので。だけど、キャラクターは自信を持って「大丈夫」と言えるかどうか、互いに交わした契約内容次第であって、本当はそう言いきれないこともあったりします。そこら辺は、せめぎあい。安全かもしれないけど売れない、売れるかもしれないけど危ない、どっちを取るのかという話ですね。

野澤 :そういう点では、人は一度人気が落ちてダメになった場合でも再び脚光を浴びたり復活することがあるかもしれないけど、キャラクターの場合、売れなかったら終わりというところもありますね。ドライ。キャラだと一気にガッと来る分、一気に引くのも早いです。

吉田 :僕はポニーキャニオンに入った後、まずロックバンドの宣伝プロデューサーをやりました。Charとか、その後俳優になって成功した、陣内孝則くんのいたロッカーズとか、うじきつよしくんのいた、子供ばんどとか。
1年でライブハウスに500回くらい行くみたいな世界で、彼らとは年齢も近かったので、毎夜毎夜バンドと何かやっていたわけです。ところがどんなに一生懸命頑張っても、僕が良いなと思っても売れなかった。今ではJ‐ROCKとかいって、GLAYが500万枚売れる時代にもなったけど、あの当時はロックなんて全然売れない。しかもアメリカとかイギリスのロックはかっこいいけど日本のはかっこ悪い、みたいな若者の風潮があって、Charが多少売れて3万枚とか、それぐらいの世界だった。そんな感じでやっていたので、これはいかん、と。

吉田 :たまたまチェッカーズは、ヤマハのバンドコンテストから出てきたバンドでした。東京で言うとイーストウエストと同様のエルモーション(L-MOTION)という九州の大会があって、1981年のジュニア、高校生の部で勝ちあがってきた。大会の主催がヤマハの楽器屋さんだから、楽器演奏が上手いほうが当然良いんだけど、その頃のチェッカーズは物凄く下手くそだった(笑)。だけど、ステージがメチャクチャ面白かった。
何をやっていたかというと、昔のドゥーワップの曲「Yackety-Yack」を、「やけとうや」という九州弁に変えて、火事になってるぜと、カチカチ山みたいな久留米弁にカバーして変えて、寸劇っぽい振付をやりながらステージをやってました。

稲葉 :ミュージカルのような感じなんでしょうか?

吉田 :まあミュージカルほど大げさではないけど、寸劇のようなことを入れてやったところに凄いエンターテインメント性を感じて面白いと思いましたね。
それから何と言っても、藤井フミヤの、この子は女の子にモテるなと感じた仕草がありました。キャラクターにも影響するんだけど、仕草が、「スカす」という、髪を振りながら歌うのが、女の子にはたまらんだろうなと。その、たまらんと思われる、フミヤのスカす感じのアイドル性と、バンドとしてのエンターテインメント性が凄く面白かった。
そんなこともあって、将来性があると審査員からも判断されて、その場ではジュニアのグランプリを獲りました。当時はフミヤが高校3年生、弟の尚之が高校1年生で、東京に出てきなさいと言っても無理なので、弟たちの年代が卒業するまで2年間待ちました。
その時僕は宣伝、マーケティングの担当で、自分でやっていた同じ九州出身のロッカーズが売れなくて悩んでいました。シャープだし凄くハイセンスだし、時代的にも凄くかっこいい。吉田カツさんがビジュアルをやったり。そうそうたるメンバーがやっていた。でも全然売れなかった。

【キーワード1-③:大衆性・エンタメ性をアピールするため、バンドのキャラクタライズを考えた】

吉田 :売れるために何が必要かな?と思いながら、フミヤのかっこつける感じとか、エンターテインメント性は、大衆性があって面白いと思って、絶対やるべきだ、とその当時のディレクターに言いました。そうしたら2年後、そのディレクターが配置異動になって、僕が25歳の時に替わりにディレクターになったんです。お前がやると手を挙げたのだから責任を取れ、という感じです。
同じ九州の出身で、ロッカーズは散々かっこよくやっていたけど売れない、だからチェッカーズの時はなにか考えなきゃいけないと思った。つまりキャラクタライズする、キャラクターをつけないと上手くいかないと思っていました。当時は燕尾服を着てドゥーワップをやっていて、あの当時で言うとシャネルズの弟、九州版みたいな感じ。当時ランナウェイがブレイクしていたので、当然、それの弟版と言われるし、それだと絶対に兄貴は越えられないと思いました。

その時に思ったのが、シャネルズは本物の黒人志向でいいけど、当時ツッパリロック系と言われていた系譜があって、大ブレイクしていたのが横浜銀蝿、一方では最も人気のあったアイドルがシブガキ隊だった。シブガキ隊と横浜銀蝿がブレイクしていたということで、ある意味作られた大衆性が必要だと感じたんです。
そこで、売るためにはロッカーズみたいな本物のロックの方向性じゃなくて、キャラクター商品としての芸能界に通用するキャラクタライズを、チェッカーズというバンドでしようと思ったんです。最右翼がシブガキ隊で、最左翼が横浜銀蝿、じゃあそのど真ん中をブチ破ろうと思って、チェッカーズをプロデュースしようと思ったわけです。

<続く>

※この対談は、NECのビジネス情報サイト「Wisdom」のブログ「ビジネスにおけるキャラクター活用」で掲載した内容を、了承の上で再掲載したものです。

吉田就彦

Authour:
株式会社ヒットコンテンツ研究所
代表取締役 吉田就彦

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